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Diary
あっ、閑話22   
更新もせず、とことん自分のぐうたらさが嫌になってます。

実は、この4月5日から兵庫県豊岡市にある自性院というお寺さんで、作家紹介にも出している井本一倭さんの個展を開くこととなり、写真や額や案内状やと人の三倍のろまな私が、娘の結婚披露パーティも重なり、はじめての孫の世話なりが間に入り、ヒッチャカメッチャカになっておりました。
まあ、世の中の人は、このぐらい軽くこなしているのでしょうが、家の配線コードのように、手に負えなくなってしまって投げ出してしまいたくなるのです。 しかし、そんな間も世の中はうごいており、福島清氏は、ニューヨークにいる寛ちゃん(花道家)のもとに新たな芸術行脚に出発ち、人も動いていることを思い知っております。
「空を見ろ。先に何があるのか分からないが、それでも雲は、流れている」
次の場面に、福島清も娘も向かっているのだ。
俺もこのドアを開けて一歩外へと歩き出さなければ。
おっと、ちゃんとウォシュレットを使ってっと。

「もう、お父さんトイレながいって」女房が叫んだ。あっ、閑話。
あっ、閑話21   
お久しぶりです。時の経つのは早いものです。

ちょっとサボってると一ヶ月や二ヶ月は、あっというまです。
「人生五十年、夢幻のごとし」と謂われますが、私も昨年五十歳を迎えあといくら生きれるかわかりませんが、なんぞええことあったやろか?と思い返しておりました。
そんな中、先日家内と映画を見に行きましたところ、夫婦50割引という制度があり夫婦のどちらかが五十歳を越えていると、二人で二千円になるらしく、年をとっててよかったなぁ、などと久々に家内に褒められたのです。
(こんなことしか褒められることはないのか、っていうか、ただ歳とっただけやし)
このとき観たのが「今度は愛妻家」という、豊川悦司・薬師丸ひろ子主演の映画で、普段なら題名を見ただけで絶対に行かないのですが、家内が観てもいいよ、って。
本編始まって10分、しまった!と後悔しました。なんじゃこれは、やばい。
そうこうするうちに、「なんか、この奥さんかわいそう。わたしみたい」と愚痴っているのです。確かに。天然で、ときどき厭味も言うけど、甲斐甲斐しく夫の身を案じつつ、一生懸命旦那とコンタクトをとろうとしている姿は、女房に似たものを感じました。
才能ある写真家ではあるが、写真も撮らず、だらだら過ごしているトヨエツは、姿は違えど、わたしに似たものでした。
映画の内容を明かすなどという浜村純のような所業は、とりたくないですが、わたしは絶えず、女房を大切に思っていると伝えてはいるのです。
ただ、信じてもらえないだけなのです。「見栄えと才能を除ければ、あんたもそっくり」としきりにうなずく家内なのでした。あっ、閑話。
あっ、閑話20   
イメージ その19のつづき… 鹿磯から能登金剛への帰り途中、「義経の舟隠し」に寄った。ヤセの断崖の南、断崖に切れ込んだ入り江がある。
深く切れ込んでいてのぞき込むようにしなければ、奥まで見えない。間口5メートルぐらいで、ギザギザに切れ込んでいるので、小さい舟しか入れない。というのだが、能登に打ち寄せる波が岸壁に砕け、こんなところに舟を入れるのは、不可能に思えた。
奥州落ちのさい、四十数隻を隠したといわれている。まったく、すごいのひと言である。伝説というやつは、いつも度肝を抜いてくれる。つぎからつぎと、四十数隻の小舟が、ぶち当たり木っ端微塵となって、岸壁に挟まっているのが見える思いがした。
しかし、兄に追われ奥州へおちていく義経の心境が、逆光に煙った絶壁と光に定かでなくなった入り江から外の海に象徴されていた。
真実はどうであれ、しばし彷徨のときを過ごした。富来市の宿に着き、温泉で汗を流した。そのあと、どこでもありそうな寿司カウンターのある店に入って、海のものをつまんだ。なにしろどこに行ってもまず寿司屋に入る福島さんとの道中であるから、酒と魚で夜は更けた。
ただ、能登の醤油は、甘かった。少しだけ塩をもらい、刺身にふって頂いた。「大将、なんかこの辺特有のおすすめは?」と声をかけた。うむむ、と考えて「柳川なんてどお」と返した。どぜうがカウンターの端の水鉢でうごめいていた。
越前の海と風にどっぷりつかってきた我々素浪人は、せっかくのおすすめを注文することはなかった。あぁ、あっかんわ。
あっ、閑話19   
ひょんなことで、35年前リュックを担いで歩いた能登半島を 当時とは逆のコースでめぐることになった。画家の福島清さんと作品の取材をかねて遊ぼうというものである。 もちろん、これがあるから美術商を名乗るのもやめられないのである。
9年乗り継いできた愛車バサラ(通称ファイヤーバード:家計的に火の車から)に鞭を打ち、当代稀にみる無頼漢と洒落者を南北朝ならぬ「婆娑羅」という名の車に乗せて行く旅は、自然と心踊るものとなった。
ファイヤーバードは、名神から北陸自動車道、能登自動車道とひた走り能登金剛へ。「あんさん、ちょっと休ませてぇ~な」と愚痴る愛馬を尻目にふたりは、鼻歌のあいまにこの世を憂い大笑いなのであった。(だって、絵が売れないんだも~ん)
能登金剛といえば「波の花」で有名であるが、打ち寄せる波が荒い岸壁にぶちあたり、泡と化して強い風に煽られて花のように吹き上がるものだが、気温が低い日に見られるものらしく、またの機会にしてやることにした。
まず目指すは「鹿磯(かいそ)」。曹洞宗総持寺のある門前町の手前を海岸沿いに入った集落である。黒島町から記憶の端が綻びはじめ、見覚えのある集落、海岸線がひろがり、その向こうにもっこりと突き出た岬と猿山の灯台が見えた。
黒島、鹿磯と家並みは美しく、黒光りした屋根瓦の線が、しっかりと海岸線をかこんでいた。それが不思議に思えたのだが、2年前3月にあった、能登半島地震マグニチュード6.9の爪あとの瘡蓋だったことに気づいた。
新しい家並みを見るにつけ、余計にその下の癒えきっていない傷を感じずにはいられなかった。
この集落の中ほどに、今回、福島画伯に絵を依頼した方の生まれ育った家があるのだった。ここには小さな船つきがあるだけで、漁師町の香りはなかった。福島さんは、デッサンをはじめ、絵の構想に入っていった。
その先には隧道があり、出たところに漁協と水揚げ埠頭があったのだが、代々この集落からは、船乗りを輩出していて、漁師になるものは少なかったと聞かされた。その先細い海岸沿い集落の道をたどるとすぐ小さな川に突き当たった。
川向こうから猿山に向かう遊歩道に入り岬に続く山にはいれるのだった。川口のコンクリートの堤。少し途切れた茂み。15歳のリュックを背負った少年の後姿が見えたような気がした。猿山灯台から皆月にでる山道で、俺はいったい何を掴んで帰ったのだろう。それとも何かを捨てに行ったのか。
今となっては何も思い出せはしなかった。
*陽が西に傾き、逆光に海がざわめきはじめた。きらきらと無数に輝き始めた海の鱗を右に見ながら、愛馬・火の車は、能登金剛に鼻をむけた。
あっ、閑話18   
みんな、旅立っていくのですね。わたしもうちのカミさん、これからは守さんにします。
よくぞ子供たちとわたしを守ってくれました。世の中で、「そんな甘い考えで、いきていけるかぁ!」とお叱りのお言葉をいただきながらも、やってこれたのはひとえにあなたのおかげであります。
いやぁ、こんな書き方をすると守さんが亡くなったかのように採られてしまいがちですが、守さんは元気です。
私ども夫婦も出来ちゃった結婚でして、当時学生だった私は、今は亡き義父に無謀な攻撃を仕掛けたものでした。 娘は、ダンスから音楽、歌に芝居と、もしかすると表現者の方に向かってくれるかもしれないと、淡い期待を持った私を、見事に粉砕して嫁に行くことを決めたのでした。
こうなれば、幸せになってくれるのを望むばかりです。やっと、芸術を語ることが出来るかと喜んでいたのに残念です。 先日、大学時代の同窓会がありました。3年先輩の山本兼一さんの直木賞お祝いと「火天の城」映画化のお祝いをかねてのものでした。
酒と麻雀に明け暮れた野郎ども、女性もいましたが、昔話に花を咲かせました。
人生で花を咲かせたのは山本さんのほか、ウン名ほどいた模様でした。普通に生きていくことがどれほど大変か、充分理解しているつもりでしたが、さびしい限りです。
「干からびて やがて野になる 糞の山 花一輪咲くや咲かぬと」外は、もう秋の装丁です。
イメージ
あっ、閑話17   
いやー「長い冬眠」と言っても「夏の昼寝」と言ったところか、ご無沙汰しております。
ここ数ヶ月の間いろいろありまして、まず、うちの二十歳の娘が妊娠しました。
相手の男は、まだ学生だということで、「結婚する!」なぞ、 のたまいけるのでございます。
ゆえに、ここ数ヶ月のよしなしの生活ごとの根底には、この問題が黒い潮流となって
渦巻いておりましてでございます。さて、人間というもの、
暗い心配事ばかり気に病んでいては、生命維持度ゼロでございます。 この「生命維持度ゼロ」の出典は、ご存知の方は、そりゃご存知のアニメ 「ゼロテスター」からであります。私の言いたいのは「いつも心に太陽を」であります。
この「いつも心に太陽を」の出典は、シドニー・ポワチエ主演の 学園映画「いつも心に太陽を」からであります。 あぁ、先にすすまねぇ。面倒くさがり屋なので、とにかく楽しいことも増やしていかなければなりません。
ある人のお誘いで、吹田祭りというものに、お手伝いということで参加させてもらいました。
みなさん、覚えておられますでしょうか、あの「真木ひでと」さんを。「真木ひでと」といえば、 グループサウンヅ全盛、華やかしころ一世を風靡した、失神オックスの「真木ひでと」さんの パフォーマンスがありました。ミニコンサートです。いやーすごいのなんのって。40年の歳月を越え、 当時のギャルが、「ぎゃー!死んでもいい!」「死ぬる~」など、当時さながら、今では、 湯治場でお会いしたほうが似合っていそうなおばさんがたが、おられたのであります。 その熱狂は、やがて広場に集まりし人々を呑み込み、まさに狂喜乱舞、踊り狂ったのでありました。
気がつけば、もちろんわたしも最前列で奇声を上げていたのでございます。恐るべしおばさんパワー。
ありがとう、おばさんパワー!おばさん万歳!灯りがおちる頃、 吉田拓郎の「祭りのあと」が夜のしじまに染み渡り、おじさんおばさんの夜は更ける。
「老けるなかれ 夢に耽ったあの頃を 夜更けの風に 吹かるるこの身に」きゃー。
まだまだ続きますが、小休止。
あっ、閑話16   
ゴールデンウィーク前、信貴山にいった。家内とドライブである。
家内であろうが、いまだにデートとなると、ウキウキするのである。おかしな話だ。
国道25号線から信貴山方面へ新緑の道をくねりながら上がっていくと、 総本山信貴山が見える。恥ずかしい話だが、大阪に住んで半世紀足らず、 「信貴山」に蕨(わらび)でも探しに行こうか、などと、親に連れられ 山に入ったような気はするが、あんなにりっぱな寺院があるとは思わなかった。
昨今戦国武将流行でもてはやされている上杉謙信が、 自らを毘沙門天の生まれ変わりだと称し戦国の世を颯爽と 駆け抜けたすがたに憧れる者も多い。今では毘沙門天Tシャツまである始末だ。
いや、悪口を言っているのではない。その毘沙門天信仰の総本山が、 小さいときに山の斜面に眼を凝らしていた山菜の里にあることなど知る由もなかった。
「うっそー」と言われそうな恥ずかしい話である。しかし、この寺がなかなかおもしろかった。
この寺もあのスーパーマン聖徳太子が建立されたようで、毘沙門天を体現されたのが、 寅の年、寅の日、寅の刻とのことから、山門前で大きな張子の虎が、 われらタイガースファンを迎え入れてくれるのである。
また、金好きの大阪人に、商売繁盛を約束してくれる守り神なのである。
おまけに、金や商売、健康まで融通してくれる融通尊、銭亀さんまで用意されているのだ。
ウホウホである。とどめは、いのままに財が得られる「如意宝珠」なるものが、祀られている。
今となっては、誰一人見たこともないそうだが、本堂の下、暗闇の回廊に納められているのである。
この地下の回廊は、「戒壇めぐり」とされ、本堂脇の階段を下り、漆黒の闇の中、 右手に触る冷たい壁をたよりに進むもので、自らと向き合う貴重な体験ができるものである。
闇の中で、仄かに明かりが灯った祠の中に、自らの守護神を探し、また闇に入っていく。
「如意宝珠」の祀られている祠の格子戸に掛けられた鍵、錠前を触ってご利益をえるのだ。
恋人と一緒にいかれたらいいだろう。彼女が、しがみついてくるかもしれない。
明るみに出た時、見知らぬおばはんであっても、当方は一切関知しないのでそのつもりで。
成功を祈る。
まぁ、煩悩探しにもなるだろう。本道舞台からは、奈良盆地が一望に見渡され、 山の霊気を一身に浴び、大変気持ちのいいものだった。
土産物売り店で、こんにゃくごぼうとしいたけ山葵を買って、帰途についた。
これで酒の肴は、そろった。今回のデートは、圧巻だった。
シャレは、いまいち、あっ、かんわ。
あっ、閑話15   
これも去る数日前、ある方の屋敷の庭木を切りに行った。
途中、兵庫県玉津より神出にいる彫刻家宅により、 国道175号線を北上したのだが妙に山の形が気になった。ピラミッド型のように思えるのだ。
道は、広々とした田園風景を突っ切って、菜の花の群集を見ながら走るのだが、 所々きれいな二等辺三角形が、現れるのである。
そういえば地名も「神出」「古神」「天神」などがある。
なにか所以でもあるのか気にかかった。
「大発見やぁ!」といっても、何も調べたりしないのが、凡人の凡人たる由縁である。
何のこだわりもなく見過ごすのだ。目当ての樹は、いつぞやの台風で傾き、 倒れたりすると危ないのでチェーンソウを使って切るのだが、 ところどころで道の真ん中に大きな樹木が立っていてその横にお社があり、 歪な通りになっている所を知っていたので、樹を切ると災いを呼ぶのか、怖かった。
あぁ、そういえば、以前鋸で切ったことはあった。
桐の木だったが、不用意に木を切ると祟られると、家を出る前に仏壇に手を合わせて、 切る前も祈りながらのの作業だった。
チェーンソウを使うのは、阪神淡路大震災以後二度目で、 崩壊した家から貴重品を掘り出したのだが、高校の時、 能登を旅した折に山で会った爺さんに切り方を教わったのを思い出しながらの作業だった。
断っておくがけっして、盗みにはいったのではなく家の持ち主に頼まれてのことで、 今回も家の主のお宅で、所以もなさそうだったし、 庭木を倒すのにいちいち祟られていたのでは、日本中祟られまくる。
たいしたことはないだろうと、お手伝いすることに決めた。
地名のこともあり、正直ドキドキした。 その方にも、一応喜んでいただき、わが家へ無事帰ったのだが、 いまでもときどき夜空を見上げ、UFOが頭上に現れないか、不安になったりするのだ。
いくつになっても、野うさぎの心なのである。
まったくをもって、あっ、かんわ。
あっ、閑話14   
先日、娘が出演した「兎町十三番地、ほろびうた」を観劇した。
伊丹のAIホールなのだが、こじんまりしたいい大きさで観客数も入れて 150名ぐらいに設定されていた。
劇の話は、さておき(いろいろ、言いたいことはあるのだが、 やめておこう)伊丹がおもしろかった。
城跡の公園が駅前にあり、奈良時代のスーパーマン行基の業績も謳われている。
しかしなんですなぁ、日本のあちこちに偉大な業績を残す スーパー坊主の筆頭、弘法大師といい、 千三百年も前にこのようなXメンがいたことに、改めて驚くのである。
このカリスマの仕事は、多くの信者をもってなされたのだが、 マンパワーの凄さを感じるのである。修行によって身に着けた神通力とは言え、 行基の歌に感じるものがあった。

「法華経を我が得しことは薪こり 菜つみ水くみつかえてぞ得し」
自然に向き合い、生かされていることを感じ、仕えることを怠らないことによって、 生きる理を知るのである。人間、かくあらねばならない。

ふむふむ、な~るほど。
伊丹といえば、酒造りの小西酒造もあり、焼き杉板塀の風景もたのしい。
老松酒造で酒を買って、あーだこーだ考えていた。
昼日中から一杯やると、徐々にこの世は極楽に変わってきた。

「世の中の かいなきことを思うより ひとつきの酒に酔うべきあるらし」 大伴旅人。

もうあれこれ考える気になれず、だだほんわか春の日をすごした。
行基のことは、いずこへいきしか?
あっ、閑話。
あっ、閑話13   
さくらの開花宣言がでたとたん、寒くなった。
気温が下がったことで、さくらを楽しむ時間が増えるかもしれないが、 ゆっくり花見という気になれない。
とは言え、酒さえ入ればこの世の春だ。
うちのマンションでは、年の暮れや正月ではなく花見のときに餅つきをする。
マンションには、「コミュニティくらぶ」というのがあって、いろんな行事を企画し、 開いてくれるのだ。
この行事を通して近隣の親睦を深め、快適なマンションライフを実現しようとするものだ。
その甲斐があって、和気あいあいの会話が聞けるようになってきた。
「踊る阿呆に、見る阿呆。同じ阿呆なら、踊らな損、損」というのがあるが、 最近ちまたでは、踊りもしなけりゃ見もしない。
見ても斜に見て馬鹿にするのが多い。
どうしても賢ぶりたいのか、馬鹿にされたくない傾向があるようだ。
何もしなくて、また何もしないから失敗しない。
ゆえに、馬鹿にされない。
踊るあほうに~と節を付けて歌っている昔が懐かしい。
適度に恥をさらせるのは、仲良しになるための特急券なのだが、 馬鹿になるのと迷惑をかけるのとは少々違う。
しかし、ここからが大切なことだが、やたらと迷惑、迷惑と叫ぶことが 多くなっているように思う。
堪えて、許せないことが多くなっているのだ。少し五月蝿いかもしれないが、 明るい未来のために許せる懐の深さが欲しいものである。
今ちょうど満開だが、 このまま桜の下でだらだらと酒宴を繰り返していると、やがて葉桜となり、 大量に毛虫が落ちてくる。
人は苦しいときに、笑って歌って踊ったものだ。
どこからか、 「ほんま、あほやなぁ~」と声がかかりそうだ。
あっ、かんなぁ。
あっ、閑話12   
年も明け、もうだいぶたちましたが、いかがお過ごしでしょうか。
なまくら者のわたしは、誰が決めたか、この百年に一度の危機の中(経済だけでなく、個人によって問題は変わるとも思いますが)何の用意もすることなくぬるま湯に浸かっているようで、このままではだめだ、だめだと呪文のように唱えております。
そんなある日、知り合いの日本画家から、 苦しいので作品を買い取ってくれとのSOSが入り、国際救助隊サンダーバードならぬキッチン・ファイヤーバード(火の車)の出動。
金策ぐらいしないと身体がなまる。人間は、追い詰められないとパワーがでない。
まして知り合いの危機。ここはなんとかせんと!出発、発進、いざ鎌倉!後先考えず飛び出した。
昨年、元タイガースのニンベンなかた、マイクさんと餅つきをした。
球は速いがストライクが入らない。臼を叩きながら自滅していくかつてのエースよろしく、くたくたになりひと仕事終えて、冷えた身体で即、風呂場。
ぬるい!くそっ、湯を足してやっと温まって台所。冷蔵庫を開けると、ビールがない。
アテ(肴)もない。もう、金策の当てもない。ぼけっとしてたら、電話がなった。
作品が、売れた。捨てる神ありゃ、拾う神あり。
うっすらほくそ笑んでいると、うちのカミさんが酒と魚を買って帰ってきた。
すする我あり、笑う(山の)カミあり。なまくらは、治らない。あっ、かんわ!
あっ、閑話11   
イメージ 先日、うれしい人から手紙が届いた。
奄美にアトリエをかまえる洋画家の堀晃(ほりひかる)さんである。
北九州市立美術館にて開催されている堀晃展の展覧会カタログと「今夜も眠れないこの島で」という本の出版の知らせである。
絵もさることながら文章がいいのだ。 スパッとこちらの胸に入り込む言葉がちりばめられ、ここちよいリズムとともに、哀愁が漂う。 バーカウンターで気の知れた仲間に(もちろん、いい女ならなおさらいい)語ってみたくなる。
マジックアワーの阿古屋貝に広がるパール色からピンク、紫に刻々と変化する大阪平野の上空を眺めていた。
昼間ゆっくりと方向を変えた飛行船が消えた彼方には宝塚から神戸・六甲の山々。
見渡せば堺から泉州まで、その先には海外からの航空機が離発着を繰り返す関西国際空港がある。
ここ羽曳野は、ヤマトタケル尊が白鳥に姿を変え、羽をひるがえした丘陵と伝えられている。
堀さんはこの空の果て、海の香りと野太く大地から生命を戴いた島影に切り取られた水平線を眺めているのだろうか。 無性に堀さんに会いたくなった。 話してみたくなった。いつまでたっても成長しない私だが、堀さんはあたたかく迎え入れてくれるだろうか、なんちゃって、黄昏の空に感傷の池に投げ込まれたみたいだ。
ひまができたら、勝手に行っちゃおうっと。
おもしろいことが、きっと僕を待ってるに違わない。
ここで一曲。「ひと声ぇ~鳴いては~旅から~旅へぇ~っか」あっかんわ。
あ、閑話 バックナンバー01~10はこちら
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